宗教トリリンガル

はろー、はろー、はろー。

 

私の家族の話をしますが、父の家系は仏教を信仰していて、母の家系はキリスト教プロテスタント)を信仰していました、今でも何故この二人が結婚することになったのかは七不思議の1つです。

そして実家は二階建てで、一階にいるとスピーカーからゴスペルが流れてくるし、二階にいると外からお経が聞こえてくる(お隣がお寺)という家庭環境で育てられてきました。変な人たちですね。

 

そんな中で育った私は宗教嫌いで、まぁ普通に考えて二つの思想が家庭内で対立してる時点で、どちらにも真理はないと思ってしまうのは無理もない話ですね。

ただ隣で神だ何だの言ってる人間がいるおかげかせいかはわかりませんが、ファンタジー世界にどっぷりとハマることができて、特に北欧神話は日常的に話題に出すぐらいには調べていた気がします。

 

なぜ北欧神話にハマったか理由はわからないですが、北欧神話のもつ積極性のあるニヒリズムな世界観に惹かれたかもわからないです。

終戦のために何度も生き返りながら戦うのが理想郷(ヴァルハラ)ってのが象徴的ですけど、とにかく実存と勝利が課題で、また面白いのはロキという存在がいるおかげで裏切り即絶対悪の構図を外しているところにあります。

AI的判断やインフルエンサー社会は裏切り行為を最低評価値に置きますから、この構図に疑問をもつ人は是非北欧神話を活用してみてください。

どうやって活用するかはよくわかんないので聞かないでください。

 

 

そういえば歴史上でニーチェという人がいますよね。

彼がキリスト教を真向から批判したというのは良く知られた話ですが、彼の人となりを知れば知るほど彼がキリスト教徒っぽいなと感じることは多いのではないでしょうか。

なぜキリスト教を批判した人間がキリスト教徒らしいのか?

かっこ付けた言い回しをすれば、若くして父親が亡くなったことで、キリスト教の家系だったニーチェにとってオイディプスキリスト教になったのではないでしょうか。誰よりもキリスト教を批判しながらも、キリスト教の血には抗えない、みたいな。

 

 

なんでこんな話を出したかといえば、宗教嫌いといいつつ私ってなんだかんだ結構キリスト教的道徳に染まっているなと自覚することが増えてきたんですよね。

この前小学生がお昼の時間に「いただきます!」って言ってるのを見て、食事を「エネルギー源」「快楽(美味しい)」「情報」の3つの要素にのみ還元してしまってる自分の愚かさを恥じたりしましたが、これはもし私が功利だけを考えている人間であれば起こり得ない現象だなと思ったり。

 

そんなわけでもし私がめちゃくちゃな人間に見えるのだとしたら、私がこうした北欧神話的実利主義とキリスト教的道徳観と仏教的厭世観と開き直りを兼ね備えた宗教トリリンガル(正確には宗教2つと神話ですけど)だということを踏まえれば理解できるかもしれません。