ダイモニオン、理性、インドアな私

はろー、はろー、はろー。

 

ソクラテスは主として禁止する形で内面に現れる啓示を神霊《ダイモニオン》と呼びました。

時代は飛んで、カントは道徳的な義務や抑制を"理性"の属性の1つとして定義し、『実践理性批判』では、みんなの理性はア・プリオリ(生まれたときから)にあるものだから、共同体に合わせてしっかり制御していこうねということを語りました。これは、ソクラテスのダイモニオンを普遍的なもの(というより民主主義的に決定されるものという方が近いかもしれません。)へとカントが昇華したものではないでしょうか。

 

そんな話はさておき私のダイモニちゃんは非常に強力で、主にアウトドアでその力を発揮してきます。

象徴的な出来事は数年前に一泊二日のスキーにいったことがあるのですが、一日目では行きの車内からテンション全開で友達に「スキーで大喜利しよwwww」とダル絡みしていたし、スキー場に着いたら着いたらでその白銀の世界に感動し「また来たいね!」と連れてきてくれた友達に感謝した記憶があります。が、

二日目になった途端に「なにこれ。ただ白いだけやん。」と急にシラけてしまいリフトで登ったところのハジっこで一切滑らずにずっと雪の上で大の字になって横たわっていました。(ふかふかの雪に寝そべり、肉眼で見えるほどゆったりと落ちる雪を捉えるのは、時間の流れが遅く感じられるので意外と楽しかった)

一緒にいった友達がリフトから上がってくるたびに雪玉を作っては投げてくるのが鬱陶しかったですが、なんやかんやこうした形で話せるエピソードの1つになったので良かった説はありますね。

ちなみにこれを切欠に、旅行するにしても日帰り旅行しか出来ない体ということを自覚しました。(インドアの鑑)